1大学生としての雑記

ふと思ったこと、考えたこと

ブログという匿名性ある場での発言。

どうしてもネット上ということで、匿名でブログをしていましたが、加害者側だからという理由で、加害者を非難していいかと言われれば、あまりよくないと思いましたので、もし何かございましたらコメントしていただければお会い、またはメールで素性を明かしますのでらよろしくお願いします。ただ一方的に明かすことはないので、そこのところよろしくお願いします。

 

文責 雑記03

 

ガラケー使用経過報告1

ガラケーにして一週間以上経ちました。

以下使用して感じた所見を。

家ではwi-fiが有りスマホが使えるため、今まで通りの使用法に近いです。ただしラインがガラケーの方なので、無駄なラインチェックやsnsの更新は減りました。

また外では(大学構内で使えるものの)スマホが使えないため、人との会話中やご飯時に弄ることが一切なくなり、非常に満足しております。ただ相手が使うのが気になり始めます。ただそれは相手が使っててイライラする といったものではなく、「私もそれぐらい使っていたのか、相手に失礼していたな、申し訳ない。」というものです。

 

文責 雑記03

川崎通り魔殺人について。

非常に許せない事件ですし、犯人が生きていれば確実に死刑だったでしょう。今回書くことは、事件そのものについてではなく、周りの反応(といっても道端でアンケートを取ることもできませんから、ツイッターや匿名掲示板の発言を取り上げたいと思います。)やこれからどうしていけばいいのか、について考えたいと思います。

まず周りの反応について。

大きく分けると次のような反応があるかと思います。

1)結局犯人が自殺したのを見て、死ぬなら勝手に死ねと思うタイプ(思うに、この人たちは自殺してる人に対しても、勝手に死ねと言っていることが多い。)

2)犯人は許されない。けれどもこれから、このような事件を減らすためにも、福祉の充実を図ろうとするタイプ(私はこれです。)

3)わけのわからないことを言うタイプ(例えば安倍批判に無理に結びつけたり、ブルーな気分を晴らすためにもこの画像を見て!と言ったりする人。)

 

まずは個人的に論外の3について。

人の命が失われているのに、冗談を言ったり、私利私欲の主張のために事件を用いたり。その精神が一切理解できません。本人は和ませようとしたりしているのかもしれませんが、それは事件から目をそらした単なる逃げですし、この事件よりもこの画像の方が大切だという主張に感じられ、被害者や被害者遺族の方への侮辱に感じられます。非常に不愉快。

 

次に1について。

今回のような殺人が、絶対に許されないとした上で、以下述べます。(巻き込まれた人がいないことが、この上なく望ましいことは同意しますが、手放しで犯人は一人で死ね、などといい、まして2について考えないことは、殺人に対する解決の根本的な逃げと等しいでしょう。)

私は1のような考えには、いつ自分が犯人の立場に追いやられるかもしれない という観点がすっかり抜けてしまっているように感じられます。(梅田飛び降り自殺の時にも述べましたが)私は現在殺人衝動の類は一切ありませんが、殺人のニュースを聞くたびに(この間の男女間のもつれのニュースの時もそうですが)いつ自分の中にそういった衝動が起こるかわからない、起こるかもしれないと思うと非常に自分が恐ろしくなりますし、もし芽生えた際に、相談する相手もいません。私は家族や友人には相談できません、なぜなら、まだ起こした訳でもないのに、自分の立場を窮地に追いやらせるようなことはできないからです。また家族や友人も、私が人を殺しそう と打ち明けたところで、本気にはしないでしょう。(私自身も急な友人から相談されたらば、受け流すかもしれません。)もしも芽生えてしまった際に、相談できる救いの手が必要だと私は思うのです。もしかすると相談を真摯に受け止めてくれることで、それがストレスのはけ口になり、殺人へと行動はうつさないかもしれません。またもっと根本的に、人を殺したいと思うほどの社会体制を作り上げなければなりません。満員電車で通勤し、会社に着けば上司に虐められ、家に帰ると孤独。友人もいない。そういった状況が続き、ストレスが限界になった時に、ほかにストレスとなる何かが起こると、爆発してしまうかもしれません。そしてそのような立場に、誰がいつなるかはわかりませんし、誰しもがなり得ます。

また無いとは思いますが、AI判断で殺人を起こしそうな人に対し、前々から手を加える、という解決方法を提示する人がいるかもしれませんが、それは人権侵害である上、もし愛する人がそのせいで居なくなるかもと考えると、賛成できないでしょう。

 

そして最後に2について。

一部(といっても確認したのは一人だけですが)これだけストレスが多いのだからキリがない、お金の無駄だ(お金の無駄だとまでは仰っていませんでした。がそのようなニュアンスが感じられました。)という意見がありました。しかしキリがないからといってそれを諦めてしまうのはいけません。車の事故率が0にならないからといって、事故対策を蔑ろにしてはなりません。

 

以上。犯人のことを考えるとむかっ腹が立つのでこの辺にしておきます。(考えるのは放棄しませんよ!)

追記5/28)遺族の方による1の発言は当たり前のものだと思いますし、私もそう言います。そしてもし生きていて死刑にならなかったなら、私は犯人を殺めてしまうかもしれません。

今回の犯人個人に、一人で死ねよというのは理解できますが、これから起こりうる巻き添え殺人を一般化して、放置するのはいけないなあと思うわけです。言いたいのは追記部分だけで終わってしまいましたね。

文責 雑記03

少し思ったこと

タイトルがあいまいなのは、いいタイトルがなかなか思い浮かばなかったからです。当事者がいらっしゃいますので、見ていないとは思いますがフェイクありで書きます。(といってもそれほど長くありませんが)

飲み会で、ある視覚障碍者の方がいて、私とは違うテーブルに座っています。私は目が悪く、何度もメニューを見直したりしていました。それを私の一緒の席の知り合いが、いじるわけですね。「ほんま目悪いな~w」「検査行って来いよ!ww」と。その視覚障碍者の方に聞こえてるかどうかはわかりません。しかしそのいじり方は、あまりよろしくないのではないかと思ったわけです。私も聞こえたら嫌な思いするかと思い、注意することもできないので、すぐ話題を変えようと努めていましたが、なんどもそのいじり方をしてくるので、少々イラっとし、ブログに書こうと思いました。私はもし聞こえた場合の当人の気持ちはわかりません。一方で、気を使うことのほうが相手を傷つけてしまうのではないかと思う面も、私の中にあります。だから非常にもやもやしてるわけですね笑。なんにせよ、いじるのは如何なものかと思いました。

 

追記1.5/26)ラインのプロフィールに書いたりしているので、知らないでは済まされないかなと思います。差別は知らなかったでは済まされません…よね?それと同じで。

文責 雑記03

「生活保護で大学進学なんてゼイタク」本音を包み隠す厚労官僚の“良識” を読んで。

1日に2つもあげるのはしんどいので、思ったことを羅列する程度。

まず官僚は殆どが東大(後少しは一橋)で

、東大生のご両親の世帯年収の平均は1000万円(https://www.google.co.jp/amp/s/www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2018/09/6950.php)つまり生活保護とは無縁である。自分たちとは関係ないから知ったこっちゃないというのはあまりに暴論。官僚側は大学進学率を引き合いに出して、説明しているが詭弁である。大学進学は個人たちが学びたいかで判断されるべきであり、その権利をパーセンテージで取り上げてはならない。

 

文責 雑記03

自閉症の子供に、改善させるためと漂白剤を飲ませたというニュースを見て。

現在の社会では自閉症よりも自閉症でない方が、一般的に良いとされる傾向にある。だからこそタイトルのように、お子さんに漂白剤を飲ませるという、常識に考えればしない、してはいけない行動を取るわけである。しかし何はこれも、ご両親が無知だからするわけではない。同様な例には、ガン患者に対して、非科学的な治療(漢方はどうかわからないが、非科学的な方に分類されることもあるだろう)を「その家族が」「自主的に」勧めるというものがある。(全く関係ない人が勧める場合は、宗教やマルチが考えられるが、それは自主的でない。)これも同様、無知だからするわけではない。むしろ家族がガンになっていない時には、そんなのありえない!信じる奴はどうかしてる!という人が多いのではなかろうか。しかしいざ愛する人が、大病を患ったりすると、少しでもよくなってもらいたい、治って欲しいと思い、そのような非科学的な治療に手を出すことがある。実際私も理系学生の端くれとして、わけのわからない治療や漢方に頼るのは、お金の無駄で、そのお金は罹患者の余生に使うべきだと考えていた。しかしいざ私の祖父が脳腫瘍に罹患した際は、どんな胡散臭くても治療を試そうとし、一人でも病が改善したとの記述を見つければ、寝ずに朝まで調べ込んだ。(試す前に急逝してしまったのだが)経験から言わせていただくと、愛するものが危機に陥ると正常な判断は、まず無理である。事実を電話越しで聞いただけで涙は止まらないし、毎晩もう長くないと考え眠れず、眠れても悪夢にうなされ起きる。嫌味などではなく、そのような状況でも冷静に判断できる人はすごく尊敬する。しかしそのような人でも心はズタボロであり、もしかしたら一種の麻痺状態なのかもしれない。そのような追い込まれている人に対して、この記事のように愉快的に、もしくは金銭目的で、騙そうとするのは、最も卑劣な行為のうちの一つだと、私は思う。また個人的に言わせていただくと、善意からであっても、非科学的な治療を勧めるのはやめてほしい。もし勧められて試しても、まず効かないだろう。やらなきゃわからないじゃないか!という人もいるだろうが、(残酷な言い方かもしれないが)これから生きていくのは、残された側であることを忘れてはならない。効く可能性の低い治療に大金を注ぎ込み、効けばいいかもしれないが、効かなければただお金をドブに捨てるだけであり、家計を圧迫し、より精神的にその家族を追い詰めるだけだ。一方勧めた上で試さなくても、亡くなった後に後悔が残るものだ。この世に最善の選択というものはまずなく、必ず、どの選択を取っても後悔は残る。「もしあの時勧められていた治療をしていたら助かったかもしれない。そうであれば、亡くなった人を殺したのは自分も同然じゃないか」という後悔をきっと残す。私自身としては、祖父が脳腫瘍に罹患したと聞くまでは、浪人した後関東圏の大学に下宿して通っていた。もし私が初めから、今通ってる地元の大学に通っていれば、浪人1年と関東の半年、祖父と一緒に入れたのではないか。もし一緒にいたら私が異変に気付き、もしかしたら治らずとも、もっと一緒に入られたのではないか。そう後悔しても仕切れないし、本当に不孝をしたと思う。(だからこそ、その報告を聞きすぐに大学をやめる決断をし、母や父との時間も大事にしなければと、地元に帰ってくる決断をすぐできたのだが。もしテストが終わってから後期休学すればいいと思って行動していれば、祖父の死に目には会えなかっただろう。)話は逸れたが、周囲の人たちは、患者だけでなく、残されるだろう家族たちのことも考えて発言して欲しい。

とにかく、追い込まれる人に対して、デマを吹き込んだり、詐欺を仕掛けたりするのは最低の行為である。

 

今回は自分語りが多くなってしまったが、こんなところで。

 

文責 雑記03

近いようで遠い

先日趣味の散歩がてら、近くの山の麓まで思い立って行ってみました。

当たり前のようですが、行く前は案外近く見えても、いざ麓まで行ってみるとかなり時間がかかりました。帰り道にふと、案外身近にいる人も近いようで凄い人も多いんだろうな、思い、このようなタイトルに。詩人みたいですね(笑

とかく、あらゆる周りの人への尊敬の念というのを忘れないようにしたいなという話でした。

 

文責 雑記03