1大学生としての雑記

ふと思ったこと、考えたこと

川崎通り魔殺人について。

非常に許せない事件ですし、犯人が生きていれば確実に死刑だったでしょう。今回書くことは、事件そのものについてではなく、周りの反応(といっても道端でアンケートを取ることもできませんから、ツイッターや匿名掲示板の発言を取り上げたいと思います。)やこれからどうしていけばいいのか、について考えたいと思います。

まず周りの反応について。

大きく分けると次のような反応があるかと思います。

1)結局犯人が自殺したのを見て、死ぬなら勝手に死ねと思うタイプ(思うに、この人たちは自殺してる人に対しても、勝手に死ねと言っていることが多い。)

2)犯人は許されない。けれどもこれから、このような事件を減らすためにも、福祉の充実を図ろうとするタイプ(私はこれです。)

3)わけのわからないことを言うタイプ(例えば安倍批判に無理に結びつけたり、ブルーな気分を晴らすためにもこの画像を見て!と言ったりする人。)

 

まずは個人的に論外の3について。

人の命が失われているのに、冗談を言ったり、私利私欲の主張のために事件を用いたり。その精神が一切理解できません。本人は和ませようとしたりしているのかもしれませんが、それは事件から目をそらした単なる逃げですし、この事件よりもこの画像の方が大切だという主張に感じられ、被害者や被害者遺族の方への侮辱に感じられます。非常に不愉快。

 

次に1について。

今回のような殺人が、絶対に許されないとした上で、以下述べます。(巻き込まれた人がいないことが、この上なく望ましいことは同意しますが、手放しで犯人は一人で死ね、などといい、まして2について考えないことは、殺人に対する解決の根本的な逃げと等しいでしょう。)

私は1のような考えには、いつ自分が犯人の立場に追いやられるかもしれない という観点がすっかり抜けてしまっているように感じられます。(梅田飛び降り自殺の時にも述べましたが)私は現在殺人衝動の類は一切ありませんが、殺人のニュースを聞くたびに(この間の男女間のもつれのニュースの時もそうですが)いつ自分の中にそういった衝動が起こるかわからない、起こるかもしれないと思うと非常に自分が恐ろしくなりますし、もし芽生えた際に、相談する相手もいません。私は家族や友人には相談できません、なぜなら、まだ起こした訳でもないのに、自分の立場を窮地に追いやらせるようなことはできないからです。また家族や友人も、私が人を殺しそう と打ち明けたところで、本気にはしないでしょう。(私自身も急な友人から相談されたらば、受け流すかもしれません。)もしも芽生えてしまった際に、相談できる救いの手が必要だと私は思うのです。もしかすると相談を真摯に受け止めてくれることで、それがストレスのはけ口になり、殺人へと行動はうつさないかもしれません。またもっと根本的に、人を殺したいと思うほどの社会体制を作り上げなければなりません。満員電車で通勤し、会社に着けば上司に虐められ、家に帰ると孤独。友人もいない。そういった状況が続き、ストレスが限界になった時に、ほかにストレスとなる何かが起こると、爆発してしまうかもしれません。そしてそのような立場に、誰がいつなるかはわかりませんし、誰しもがなり得ます。

また無いとは思いますが、AI判断で殺人を起こしそうな人に対し、前々から手を加える、という解決方法を提示する人がいるかもしれませんが、それは人権侵害である上、もし愛する人がそのせいで居なくなるかもと考えると、賛成できないでしょう。

 

そして最後に2について。

一部(といっても確認したのは一人だけですが)これだけストレスが多いのだからキリがない、お金の無駄だ(お金の無駄だとまでは仰っていませんでした。がそのようなニュアンスが感じられました。)という意見がありました。しかしキリがないからといってそれを諦めてしまうのはいけません。車の事故率が0にならないからといって、事故対策を蔑ろにしてはなりません。

 

以上。犯人のことを考えるとむかっ腹が立つのでこの辺にしておきます。(考えるのは放棄しませんよ!)

追記5/28)遺族の方による1の発言は当たり前のものだと思いますし、私もそう言います。そしてもし生きていて死刑にならなかったなら、私は犯人を殺めてしまうかもしれません。

今回の犯人個人に、一人で死ねよというのは理解できますが、これから起こりうる巻き添え殺人を一般化して、放置するのはいけないなあと思うわけです。言いたいのは追記部分だけで終わってしまいましたね。

文責 雑記03