1大学生としての雑記

ふと思ったこと、考えたこと

アメリカ アラバマ州 中絶禁止法について考える。

まず結論から言ってしまえば、母体の危険な時を除き、たとえレイプされても中絶を認めないというのは、やり過ぎである。どれだけ法整備をしても、残念ながらレイプは0にならない。その限りで、レイプされた女性が妊娠してしまった際の逃げ道は、必須だろう。、

しかしその他の場合の中絶はどうなのだろう。日本では、ある一定期間までなら胎児は意思を持たず、人としてみとめていないので、法律では許されているかもしれない。しかしながら子供の将来的意思を考慮していない。我々は自らや他人の将来のことについて考慮するのに、なぜ胎児となると将来を考慮しないのか。また障害があるから生きにくいだろうとし中絶するのは身勝手は想像に過ぎないのかもしれない。何故生まれる前からその子が死にたいと思っているなどわかろうか。

1)中絶理由が障害の場合

障害があるから産まないという意見には、一見、その子供が社会で生きにくいというものがある。しかし問題なのは、障害があれば生きにくい社会側であり、それを改善しなければならない。(少しずつではあるがバリアフリーは整ってきている。が、それは我々ではなく障害者の方々の運動によるものが多く、その点で我々は非常に反省せねばならない。)改善するのは何も、今障害がある人のためだけではなく、梅田飛び降り自殺の項でも述べたように、将来我々がその立場になった時の保険でもある。

一方で、優生思想的に産まないという選択肢を取る人もいるだろう。しかしそれは全く優生思想に則っていない。というのは何が優生かは、時代や状況により非常に異なるからだ。もし明日世界中で天災が起こり、食糧難に陥ったとする。その場合生き残りやすいのは、エネルギー消費の少ない人で、障害者の方の中には、体が小さかったり、動かなかったりして、エネルギー消費が少ない方もいらっしゃるだろう。

2)中絶理由が経済的な場合

ここでは何も、避妊具やアフターピルの処置なしのセックスにより、子供ができ、特に子供が欲しくなかったり、経済的に子供が育てられないから、中絶するという場合の話ではない。そのような人は避妊具をしっかりつけたり、アフターピルを飲んでください。(アフターピルは入手しにくいということですが、オンライン処方も少しずつ前進しているので、いずれ、すぐに、オンラインで手に入れることができるようになるでしょう。)ここでは、子供を一人欲しいと思ったが、たまたまnつ子を授かった場合について述べたい。養育費もn倍になると、家計に与える影響も甚大であるし、もし無理に産んでも、虐待に発展するケースが多いに考えられる。かといってそのうち一人だけ選んで、他を堕ろせというのも(技術的にできるかどうかは知らないが)無理がある。子供が欲しいと思っている人に、一人子供を選んで、残りを殺させる(実際には堕ろすのだが、愛している分そう感じる人も多いだろう。)のはあまりに残酷だからだ。現在は昔の比べ、ムラで育てるという時代でもない。一家庭で育てねばならない場合がほとんどだ。そこで私は国に、子供の数に相乗して増える助成金を求めたい。そうすれば少子化改善にもなるだろう。(その形は、現金であれ、教育無償化であれ、保育園増設であれ、形は問わない。)しかし増税するからといって、プレミアム商品券としてばら撒き政策を行なっていたり(もちろん経済減退対策であるのだろうが、それが主ならそもそも増税をするな)、海外に多額な資金をばらまいたり(もちろん必要なものも多くあるが、無駄も多いだろう。もっと安くできひんの?というところも多い。)している現政権では期待できそうにない。(かといって野党が頼りになるかと言われると…) そして技術の発展により、作為的に一人っ子を産める用にするのは、産まれてくるはずだった命を失わすという点で、中絶とどこが違うのか。

 

2-A)作為的に一人っ子を産む場合と中絶の違い

セックスをした直後や、する前から、この処置を取れる場合は胚も形成されておらず、一見中絶とは違うように思われるが、しかし可能性として双子や三つ子があるのに、それを0にしてしまうのは、中絶とどう違うのであろう。一つには、本当に双子や三つ子ができるかはわからないので、そんなこときにしても仕方がないと逃げてしまえる。しかし逃げていい問題でもない。(答えはわかりません。)

3)1.2以外の場合

1.2以外の場合、私は中絶には反対である。とはいえ、どう避妊しても妊娠する確率は0にはならないだろうから、法的に禁止しろとは思わない。個人として、中絶は、産まれる本人の意思を一切考えていないので、やめたほうがいいと思うだけである。(母体への危険もある。)

 

文責 雑記03